日本トレーニング科学会のあゆみ
日本トレーニング科学会のあゆみ
~トレーニングを科学する~国立大学法人鹿屋体育大学 福永哲夫
1. トレーニングカンファレンスとトレーニング科学研究会
1988年10月にトレーニング科学研究会が発足し、1989年1月16日に第1回トレーニング科学研究会が東京大学教養学部で開催された。1988年12月9日の朝日新聞と1989年1月5日の読売新聞にトレーニング科学研究会発足に関する記事が大きく取り扱われていた。「長老支配」や「経験主義」のスポーツ界に一石を投じて、スポーツ現場に幅広いスポーツ科学を導入されることになった、との趣旨の記事であった。
これよりさかのぼること約5年、「トレーニングカンファレンス」と称して、ほぼ毎月土曜日の夕方に、選手、コーチ、学校の先生や研究を志している人たち等が集まって、種々雑多なテーマについてビールを飲みながら話し合う会があった。せいぜい10~20名の集まりではあったがそれなりに苦労話が聞くことが出来て、私のようにトレーニングの現場に直接携わっていないものにとっては非常に興味ある会であった。この議論の中から研究テーマも浮かぶことが幾たびかあった。そのひとつにスポーツ動作パワー測定のプロジェクトがあり、現在でもその研究は続けられている。
定期的なこのビール会をもっと全国的な規模にしてはどうかと言い出したのが安部孝氏(都立大学)であった。面倒な事はやりたくなかったので、最初は気乗りしなかったが「安部さんがやってくれるならいいか」との軽い気持ちで「面倒な事がおこればいつでも止めよう」との前提のもとに研究会がスタートした。
「およびごし」の私とは対照的に、30歳そこそこのメンバーの人々は精力的に研究会を盛り上げていった。
2. トレーニング科学研究会の趣旨
トレーニング科学研究会の趣旨は「健康・体力つくりスポーツから競技スポーツに至るあらゆるスポーツ実施の現場でのトレーニング内容及びその効果に関する具体例の集積と、それらについてのそれぞれの専門家の意見の交換の場の提供であり、そこから生まれてくるであろう新しいトレーニング方法を開発していくところにある」(トレーニング科学、vol1、no1、pp1、1989)とし、同誌の編集後記(記:船渡和男)には「トレーニングやコーチングに関する実践報告、アイデア、意見あるいはトピックスなど実際のコーチングに携わっている人々からの発想、練習計画や成果の成功例、失敗例などを論文形態にとらわらず寄稿していただきたい」と記されている。
3. 日本トレーニング科学研究会の活動
研究会の活動として、年次大会(1年1回)、研究会誌発行(年間2回)、トレーニング科学に関する単行本の出版を実施してきた。これらの活動を継続してきたことは関係者の大変な努力の結果によるものである。トレーニング科学に情熱を持つ多くの人たちの努力がこの業績を生み出していると断言できる。
一方で、トレーニング科学研究会の本来の目的が「スポーツの現場で実施されているトレーニングの具体例などを中心にトレーニングに関する色々な考え方や試行錯誤の記録を集積することである」にもかかわらず、これまでの研究会誌「トレーニング科学」の投稿論文が必ずしもそのような内容のものでないことは、トレーニング研究会の当初に掲げた目的がまだまだ達成されているとは言えない。日本トレーニング科学研究会や「トレーニング科学」が他の多くのスポーツ科学に関する学会や学術誌と異なる点は「スポーツ現場の記録を集積し新しいトレーニング理論や身体運動を開発することにある」であり、今後いっそうその方向での世界で唯一の学会及び研究会誌としての充実を進めたい。
トレーニング科学研究会から日本トレーニング科学会へ
国立大学法人鹿屋体育大学 安部孝
1. 日本学術会議に登録された「研究会」という名称の学術団体
日本トレーニング科学会の前身である「トレーニング科学研究会」が発足した1988年当時の資料を調べてみると、本会の発足準備の過程で名称が短期間に何度か変更されている。最初は「スポーツ・トレーニング研究会」、次いでスポーツという名称を除いた「トレーニング研究会」、そして最終的に科学という名称を追加した「トレーニング科学研究会」である。本会が「学会」という名称ではなく、「研究会」としてスタートした理由は、現場の指導者やコーチの方々に数多く参加していただきたいという思いからである。本会が企画する年次大会やカンファレンスなど、その内容が現場の指導者やコーチの方々にとって興味深く、参加しやすい会にするよう努力することは当然である。しかし、企画した本会の名称を見聞きしただけで、「学会では敷居が高くて参加しにくい」と頭から拒否されるようなことがないようにしたい、という思いが込められた結果である。
ところで、本会は発足後、数年後には日本学術会議に加盟した。この日本学術会議に加盟する学術団体は、そのほとんどが「学会」や「協会」という名称で登録されている。当時、「研究会」という名称で登録された学術団体は極めてめずらしかった。
2. 研究会から学会への名称変更
現在、日本学術会議に加入する協力学術研究団体(約1700)の中で、「研究会」という名称は約40を数える。本会もそのひとつであったが、2005年1月1日をもって「トレーニング科学研究会」から「日本トレーニング科学会」へと会の名称を変更した。本会の名称変更が議論され、最終決定されたのは、2004年11月27日に開催された運営委員会(東京女子体育大学:第17回トレーニング科学研究会)であった。委員からは、発足当時の意志を継続して「このまま研究会でいこう」という意見と、「そろそろ学会という名称にしては」という意見であった。会長として委員会の司会をしていた私は、どちらの意見もそれぞれ重要で判断がつかず、会員の方々のためにはどちらの選択肢が良いのか迷っていた。その議論の中で、当時、運営委員だった荻田太委員(現会長、鹿屋体育大学)から次のような話題が提供された。それは、ある大学で博士課程の院生が学位申請を行った際、主論文として本会の機関誌『トレーニング科学』に掲載された原著論文を記載した。大学側は審査の一環として、主論文が掲載された機関誌の発行所(学術団体名)を尋ね、その名称が学会ではなく、研究会であったため、主論文として認めてくれなかった、という嘘のような実際の話しである。世の中には「○○研究会」という団体がたくさんあるのは事実で、それらの団体が発行した機関誌や報告書の論文が必ずしも全て高い評価を得るような論文だけではないことも事実である。しかし、当時の「トレーニング科学研究会」は日本学術会議に加盟する学術団体であり、機関誌の査読においても優れた国際雑誌や国内の主要学会が発行する機関誌の査読依頼を受ける査読者によって評価されていた。でも、そんなことを言っても、学会の名称のみで不利益を受ける若手研究者が今後も続く可能性があるのであれば、その点を考慮して考える必要があるという雰囲気になった。アドバイザーとして委員会に出席されていた福永哲夫先生(初代会長、早稲田大学)の一言「良いんじゃない」が決定打となり、翌日の総会に「名称変更」を提案することが決定した。
3. 「トレーニング」ではなく、「トレーニング科学」である意味
先にもふれたが、本会は発足した当初、会の名称に『科学』という語句を追加した。科学という語句が追加された背景は、初代会長の福永哲夫先生(早稲田大学)や発起人の方々の思いが込められた結果である。この点に関して、アドバイザーとして本会の発展にご尽力いただいた深代千之先生(東京大学)が大変興味深い文章(*)を書かれている。是非、参考にしながら本会が学会として益々発展していくことを願っている。